んまつーポスに会ってきた

本番を終えて次の日は宮崎で活動するカンパニー「んまつーポス」に会いに、彼らの本拠地CandYシアター(国際こども・せいねん劇場みやざき)に向かう。

これがCandYシアター。
ちょうどコロナの前くらいかな、彼らが劇場を作ったというニュースがSNSにも流れてきて、「いったいどういうこと?」とビビったわけ。だってコンテンポラリーダンスのカンパニーで稽古場やスタジオを持ってる例はあっても、劇場持ってるとこってほぼないじゃん。勅使川原三郎荻窪にちいさな劇場を作ったくらいで。そこらへん演劇と比べるとまだまだ弱小だなと思うけど、とにかくどういうこっちゃ?と超絶気になってた。今回宮崎に久しぶりに来る事になり、絶対に訪ねてみたいと思ったんだよね。
知らない人のために書いておくと、んまつーポスは豊福彬文・みのわそうへい・児玉孝文の3人からなるダンスカンパニーで、宮崎大学の学生だった彼らが2006年に結成し、宮崎を拠点に全国、世界各地を股にかけて活動している。僕は確か2008年にJCDNの「踊りにいくぜ!」で出会ったんじゃなかったかな。その頃すでに「NPO法人化してやっていきます」と活動基盤をきちんと作り続けていく意思を語っていて、とても印象的だったことを覚えている。
雨の中劇場に向かうと、豊福君、みのわ君の他に(児玉君は不在でした)彼らの指導教授である高橋るみ子先生も同席してくださり、劇場を案内してくれる。

ガラス張りの大きな開口部が特徴的な劇場は、床面が全面リノリウムできちんと浮き床になっている。広さはそうねえ。セゾンの森下スタジオのBスタの天井がもっと高い感じ。あれくらいあるなあ。

反対側はこんな感じ。

川沿いに建っているので、奥の窓から川を一望できる。窓の上は音響照明のブース。

2階にはブースだけでなく、彼らの制作室もあり、もうフル稼働している劇場と同じレベルの施設。ひととおり見せていただいてから、いろいろ話を聞かせてもらう。

じゅんじゅん(以下J):まずこの劇場ってどうやって作ったんですか?
んまつーポス(以下N):ここは向かいの保育園の運動施設、体育館として建てられています。ここの保育園が体育館を新設する際に、掛け合って劇場機構を備えた設備として建て、ぼくらが平日の夜と土日を使わせてもらうことを前提に管理運営を行っています。
J:あ、保育園の施設なのね!
N:そうなんです。僕らは3人とも宮崎大学教育学部出身で教員免許を持っており、舞踊教育の研究が専門なのですが、ここは実践の場としても機能させるねらいがあります。ここの園児の体育指導を行なったり、宮崎県下の学校への派遣事業なども実施しています。
J:ああ、体育の舞踊教育から元は来ているんですね。
N:そうです。そもそも体育にはもともと舞踊教育が含まれていましたが、2012年に中学校保健体育の単元としてダンスが必修化し、その外部指導者として宮崎県をはじめとして全国各地の学校で授業を実施しています。
J:へえ。で、その流れで、保育園の施設を劇場にという発想につながったんだ。
N:もちろんそれには僕らだけではなく、高橋先生の長年の研究や実践が結びついてこの形になっていますが。
J:しかし、物凄い方法を見つけたよね笑

と、話を聞くと、この劇場は「保育園の体育館」なのでした。
彼らも「保育園の施設って夜と土日は子供がいないんですよ。だからその広い設備は大人が使えるなと思って」と語っているように、確かにそのように保育園の施設を借りているケースはこれまでもあったと思うけど、そこを劇場にしてしまうなんてね。ほんとにすごい抜け道を見つけたなと思う。
稽古場が欲しいカンパニーはたくさんあるけど、劇場を持つという野望というか、覚悟を持ったダンスの作り手ってどの程度いたっけなと。僕も含めて、既存の劇場に作品を持っていく、という発想から抜け出ることはなかったと思う。演劇では劇場を含めて自前で活動拠点を持って回していくというのはいくつもあるけど、それを日本のコンテンポラリーダンス界で、彼らくらいの中堅カンパニーではほとんど初めて、といっていいレベルで実現しているのではないだろうか。そんな腹の括り方も同じダンスの人間として身の引き締まる思いだった。あー、すげえなと。もちろん、ここに至るまでにさまざまな困難や障害があったであろうことは想像に難くないが、あくまで嬉々とした感じで劇場のことを語ってくれる彼らを見ていて、清々しい思いがした。僕がダンスを始めた頃を思うと、隔世の感がある。
彼らは学生の頃から、「大学にできるだけ残って学内で稽古場を確保する」とか「生活の基盤を作るために研究職としても仕事をしていく」なんて話題が出ていたそうで、そんな彼らの姿勢からも学ぶこと多し。そしてもちろん彼らには、高橋るみ子先生という強力なバックがいて、アカデミズムの面からも彼らと共に夢を実現していく後ろ盾となったのはいうまでもない。師匠と弟子の素晴らしい共犯関係が美しく実を結んだ、日本では稀なケースだと思う。
るみ子先生は「このように協力しあって『場』を作っていくことが日本全国に広がっていくといい」とおっしゃっていたが、僕はまさにいま、日本のコンテンポラリーダンスの課題は物理的および精神的な『場』をどう作っていくかにあると思っているのね。それがあまりにも貧困だと。ダンスを上演できるちょうどいい劇場やフェスティバルはどんどん潰れていくし。昔は登竜門のようなフェスティバルがいくつかあって、僕らの世代はそういうところにお世話になってきた。このCandYシアターは、これからそんな機能も期待されていると思うし、そうなっていって欲しいと思ってる。
生憎オープンしてすぐにコロナに突入し、予定していた企画が全てキャンセルとなったが、そこはそれ、自前の劇場がゆえに、コロナ禍でも実施可能な企画に変えて、地元の人向けや園児たち向けの公演を実施してきたとのこと。ガラスの向こう側でダンスを踊りそれを室内から鑑賞するとか。反対側の川から上がってくる演目を児童に見せようと計画したが、「園児が真似するから」と変更した話など、微笑ましい。
すでに園児たちのカリキュラムは彼らが引き受けているそうで、園児向けのダンス公演も多数行っている。そこから新たな世代が生まれているらしく、ジュニアカンパニーも着々と育ってきているとのこと。虎の穴かよ!

コンテンポラリーダンスの大きな流れが、今後宮崎から発信されていく可能性と期待は大いにあり、この場所をいかに活性化させるかにもさまざまにプランを練っているそうで。
僕は、この劇場で彼らの作品を見たいと思った。そして「とりあえずフェスやって!」とお願いした。なんなら自費でくるし。最初は手弁当で上演できるカンパニーだけでいいから、とにかく集まってショーケースのような公演をやれば、お客さんもそうだけど、ダンサー同士の交流が生まれるんだよね。惜しくも現在休止中の福岡フリンジフェスティバルでは、実際にそんな交流が生まれていて、僕も数回参加したけど、とても刺激になったし、なにより楽しかった。ここがそんな交流と創造のハブになっていけば、次の世代の表現やダンサーたちがこの劇場から生まれてくると確信してる。
話は尽きなかったんだけど、あっという間に滞在時間は過ぎ、またの再会を誓って記念写真を。



晴れていると、目の前の田んぼの水面に劇場が映ってとても綺麗とのこと。今日みたいに青々と稲が茂っているのも素敵だったなあ。
駆け足で紹介してきたけど、詳しくは彼らのウェブサイトをご覧ください。
んまつーポス Official Web Site
NAMSTROPS|んまつーポス
Wikiも充実してる。
んまつーポス - Wikipedia