Die 120 Tage von Sodom

Volksbühneへ芝居を見にいく。
イタリアの映画監督パゾリーニ「ソドムの市」の舞台化。
見てきました。ソドムの市/劇場版。今回18歳未満の観劇制限がかかっており、つまりは18禁ということですので、以下の文章も
18歳未満はご遠慮ください。


さあ、久しぶりに長いよ。

悪名名高いピエル・パオロ・パゾリーニ監督の遺作にして問題作。マルキ・ド・サドの原作でいわゆる「スカトロ」ムービーの発端と言いましょうか。この映画を撮ってすぐにパゾリーニ自身がローマ郊外の海岸で若者に刺殺された事件とともに謎の多い作品でもある。その映画の舞台化版ね。
映画は10年くらい前に見たかなあ?一応お勉強としてね。ビデオ屋で借りてみたわけよ。パゾリーニってなんだかよく分らない映画も多くて、本作も(本作公開は1976年)見て面白い映画ではなかったな。あとそれなりに覚悟して見たのでそんなにショックは受けなかった。権力者と被権力者の構図をおぞましく描くというような内容だったと思う。ファシストだか貴族だかの集団が若い男女を蹂躙し放蕩の限りを尽くすというような。
画面がきれいだなあとは思った。シンメトリーの構図も多いし。そのきれいさが逆に怖くもあったり。
さてさて本題に戻りますとVolksbühneでの久しぶりの観劇。平日にも関わらず開演前に大勢の観客で溢れている。18歳以上という制限のついた上演ながらすごい勢いでチケットが売れていて前評判もなかなかのものらしい。刺激が好きで生半可な舞台じゃ物足りないシアターグルメのベルリンっ子が集まったってことだろう。
ネタバレと共にザザッと駆け足で解説します。
まず、原作というか映画の舞台は第二次大戦のイタリア郊外だが、舞台版ではもろに現代に置き換えられている。劇場に入ると大きなスーパーマーケットの棚が三方にそびえ立つ異様な舞台装置。その棚には商品がズラッと並んでいる。時間になるとラジオが流れてきてその音が大きくなる。すると舞台脇から一人のスーツを着た人が舞台に登り「始まりますよ〜」とかなんとか行っている。
爆音でクラブサウンドが流れてきて10名くらいのダンサーが一気に舞台になだれ込む。そのダンサーはなんとセーラームーンみたいなアニメのコスプレをしていて流れる曲はPSYのカンナムスタイルですよ。
舞台写真あった。こんな感じ。

舞台全体が日本のバラエティのような、秋葉原のような空気になっていく。これは商業主義の極ということでしょうね。スマホを持っている人もいたような。まあ、ホントにこれが日本のテレビみたいでね。あとはドンキみたいだなとも思ったけど。
しばらくするとスーツ姿の男性が5、6人ほど出てきてダンサーたちを眺めつつ脇からマシンガンを出し、一人のダンサーをいきなり撃ち殺した。そのマシンガンの音がものすごく大きくて一気に劇場は静まり返る。
黒いショッカーみたいな軍団が出てきてダンサーの服をはぎ取る。ショッカーは真っ裸のスキンヘッドで裸を真っ黒く塗っている。軍団の長みたいな人はナチスの軍服でね。

気付くと真ん中のセリが持ち上がって大きなテーブルのようになりその上にスーツ組が乗ってその下に裸のダンサーたちが逃げるように入っていき、明解な「支配階級と被支配階級」の図となる。
その後はずっと支配者たちが非道と変態の限りを尽くすわけね。
ここから詳細です。文字小さくしときました。
セックスは言うに及ばず、ウ○コをなすり付けたり食わせたり。いわゆる「ソドム」なモチーフが大爆発。ウ○コが出てきた時は(支配者の一人が透明な便器に座りするわけよ。その下に垂れてくるのが丸見え。もちろん作り物でしょうけど)その出てきたナニを全裸に剝かれたダンサーたちに食べさせる。失笑のような「ひええ〜」という声が会場に響き渡る。次々と続く変態アトラクションはダンスシーンに挟まれつつ(割とキチンと踊っていた)女体盛りあり、出産シーン有り。そして出てきた赤ん坊を斬り殺し食べるシーン有り。もう徹底的。支配者階級はスーツ姿ながらした全部を脱いだ状態でご狼藉の限りを尽くす。中にはブラジャーを着けバニーガールの耳を頭につけた男性も。ようやるわ。
これ、絶対に日本じゃ上演出来ない。っていうか、ここ以外で上演出来んのかよ?
恐いもの見たさの僕らも悪趣味な風景をただ眺めるのみ。
僕が一番イヤな感じがしたのは冷蔵庫くらいの箱から小学生くらいの血だらけの女の子が出てきてそれを支配者の一人の女性がそっと手を握って優しく舞台脇に連れていったところ。箱には「ゴールドマンサックス」と書かれており、前後の意味は全くわからなかったが、大変にイケナイモノを見たような感覚に襲われた。

18禁の舞台なのにこの子出てて大丈夫なのか?と。それはやったらあかんやろ、というところを執拗に攻めてくる辺り、ガッツリとヤクザの手法である。さすがである。
そんなシーンが延々と繰り返されていき、舞台両端から4枚の肖像パネルが出てきた。マルクスゲバラ、ローザルクセンブルク、そしてパゾリーニ。いずれも革命家のシンボルとして登場していることは想像に難くない。
そのパネルを黒いショッカー軍団が鉄のパイプでバキバキにたたき壊し、そして終演。全然救いのないアンハッピーエンディング。
まあ、ド直球の社会派作品でしたね。元のソドムにそんな思惑があったかは知らないが気味の悪いほどに現代の状況と一致しているような気がした。見終わってみて、ドイツ語は全くわからなかったのですが極端に戯画化されたシーンの連続で筋というかいいたいことは十分に伝わった。見て感じる部分が多いし、それを明らかに狙っている。わかりやすくいうと権力のグロテスクさを描いたのだろうなと。
そして僕は日本人だから日本の状況を考えたわけよ。今の日本の方がある意味よっぽどグロテスクじゃねえの?って。社会の格差は広がる一方で、メディアは施政者に都合の悪い情報は報じない。そして国民は一切を諦め気味。すでにして十分虐げられてんじゃんと。僕らの知らないところでは大金持ちの支配者が好き勝手変態の限りを尽くしてんじゃねえのかな?なんて想像を膨らませたりも。
ガビは「too much!」と言っていた。セリフも絵と同じような内容を喋っていたらしくクドかったと。確かにそうかもね。見ただけで展開わかるってちょっとイージーな気もするし。ぼくは言葉がわからなかった分ちょうど良かったのかも。
見終わって再びパゾリーニ映画のことを思い出したんだけど映画に出てくる支配者というか貴族グループの中に一人寄り目の人がいるんだよ。その人が一番易しそうな感じはするんだけど、根本的に話が通じない感じというか別の種族の人というか「血が濃い」感じがして超怖かったのね。今、国会議員とかって2世3世の世襲議員が増えているでしょ。ああいう人ってもう生まれたときからある種現代の貴族だろうし貧困なんて想像つかんだろうなって思って、その寄り目の人が世襲議員と重なって思えて一人薄ら寒くなりました。こんな風に映画を反芻するとは思わんかったよ。
舞台に話は戻って、好きかと言われると正直どうだろうとは思うけど、色々想像も手伝って見に行ってよかったとは思えた。その後の安レストランでのビールと議論も楽しかった。一緒にいった批評家の鋭い意見にも頷いたりしつつ。
批評も適当に翻訳してみてみたけど賛否両論っぽかった。それも仕掛ける側は織り込み済みなんでしょうね。全体としてはキッチュな印象だったし、あまりに単純な戯画化はクリシェと言えばクリシェなわけで。
遅くなったこのブログを書きつつ舞台写真をネットで探していたら、本作の演出家のJohann Kresnikの写真を発見。こんなやつだ!

作風とそのアーミーシャツから、ある人を思い出した。
このおっちゃん、ベルリンの若松孝二やん。