本番まであと少し

だなー。
書こうと思ってた本ブログも全然書かないままで、これはいかんと。
ダンスを作るのと出るのって、回路が分かれてるって話を。
作るのは、見る側としてというか観客としてみたいものを作ってる意識が強い。そんな思いで作るのはやってるんだけど、出るっつーのはこれがまた全然別の回路で。僕はもともとマイムから始めたんだけど、もともと人前に出るって好きじゃなかった。それは出ること自体が嫌いというよりも、自分を好きになれなかったということが大きい。自意識の問題ね。やってみたいけど人前に出るのは、、、という、まあ、極めて一般的でもある感情が大きくて、それとどうにか折り合いをつけてきたわけ。それは、自分にとってとても大きかったと思う。演劇のリハビリみたいなもんで。慣れていくんだよね、人前に出るのも。けど、その自意識が全て払拭されたわけではなくて、常について回ってる。
大体作る作業が先なので先に作るんですよ。もちろん出ながらなんだけど、その時は代役みたいな気分で動いて映像に撮って、って作業を繰り返しながら作品を作っていく。
で、あらかた出来上がったあたりで、じゃそろそろダンサーとして切り替えますかってなるんだけど、この切り替えがまたしんどい。それまでずっと作る側で、自分を作品の中に入れてるんだけど、作り手としては理想の形が見えてるわけね。こんな感じで行けるなーってのが。それを自分が出る人間として担えるかという葛藤が始まる。その作り手の自分が、パフォーマーの自分にダメ出しをする。これがしんどい。やらなけらばいけないからやるんだけど、動いてる最中にも外側からの視点が入ってきて、「これダメじゃん」「全然できてねー」とかの声がかかる。これは客観的にできてるできてないってこともあるけど、自分をどのように受容しているかという自意識の問題がとても大きいんだよね。自分のことが好きであれば、その好きな自分が作品に出ることでポジティブに思えるわけで。長い時間かかって自分の、この動きはまあまあだな、とかこの時の立ち方はいけてるだろう。みたいな、なんとか行ける方向性を見出しつつ出る自分を肯定していく作業なんだよね。正直毎回しんどい。それは普段見る側として気楽に、時に辛辣に他者の作品に対して好き勝手批評していることが、そのまま自分に返ってくる。
ま、それは宿命だと思ってます。一時期は出るのやめて作るのだけやってたんだけど、規模も小さくなり、カンパニーを維持ってのが見えなくなってきてから改めて出ることと向かい合ってる感じ。ま、でも全てのダンサーが多かれ少なかれぶつかっていることで、何も僕に限ったことじゃない。特に自分で作って出るパフォーマーは全て抱えている問題だと思う。
そしてそれは結果的に自分の成長も促してきた気がする。それでも見せたいものを提示しないと、という思いに到達したから。それを作るのに毎回しんどい思いをしているのですが、美味しく食べてもらうための積み重ねと思って頑張ってます。
本番まであと少し。

アミジロウ企画
ダンスとごはんvol.5 ~大航海時代~
@UrBANGUILD KYOTO
12月9日金19:30~
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