発表当日

再び可児市へ。
茅野からの移動はまず塩尻まで北上しそこで特急に乗り換え名古屋方面に。途中の多治見でディーゼル電車に乗り換え可児駅までという道筋。6時の始発からざっと3時間。
10時からという稽古時間に当然というか全員は集まらない。それぞれの事情もあるのだろうが何よりも舞台の時間進行を理解していないということが強い。慣れない人には本番までの「ノリ」は理解しづらい。僕も初めてスタジオ公演に関わったときに毎日遅くまで稽古するのがそもそも理解できなかった。
やや遅れてきた生徒たちと共に通しを行なう。今日来なかった子供たちの出番を他の子に振替え、流れの確認をし、「そのセリフの後、3秒待って」と指示を出す。ただでさえ慣れない人前で話すなんて行為を大勢の人の前でやるのだから普段はうるさいぐらい元気な子供たちも勢い緊張してくる。3秒ってのも「いち、に、さん」と数えて待ってられない。「〜。123僕は〜」と縮む秒数は相対性理論もびっくりの早さ。こうなると演出うんぬんというより「間違えてもいいんだよ」と親のような気分で接しつつ注文をそれぞれに託す印象。
時間になり観客がやってくると「きんちょうしてきた」と普段はやんちゃなピアスボーイたちまでも目がマジになってくる。いやあこういう体験はいいんでないの?素晴らしい通過儀礼だと思うなあ。
第一部の高校演劇の先生によるWSは内容は別にしてまるで高校生扱いされているような気分に違和感を感じつつも考える材料はもらったなと。
第二部はいよいよ生徒の出番。30分ほどの発表は拙くおぼつかないながらもそれがかえって新鮮な印象を携えたような気が。自分の意志とは無関係に海を越えてやってきた彼らの言葉は重く、切なく、そして清々しい。幾つかの瞬間は本当に「演劇って、舞台ってなんだろう?」という疑問を一般の舞台に対して抱かせるくらいの強度を持っていたように思う。たとえインタビューで語られた言葉だとしても編集してそれを喋るという段取りだからともすると「つくりもの感」は拭えないかと思いきや、それでも彼らがその言葉を発するときに自分の思いが交差して体は変化し表情は緊張と不安を隠しつつも場を変容させる。その強度にいつもながら驚かされる。観客にもその印象は伝わったと思う。
一度きりの発表を終えた彼らはまたいつもの騒がしい彼らに戻りパクパクお菓子を食べ、笑い、写真を撮りあっていた。
日も暮れて彼らが自転車で「じゃあねえ!」と帰っていったときに彼らの日常に参加できてよかったなあと素直に思った。最終の新幹線は満席で久々の「B」席だったけど(3席ある真ん中の席ね)悪くない疲労感で東京に戻りました。