朝からWS。朝の10時という本番明けの身としてはなかなかにきつい時間帯ではあるのだが、予定は事前に決まっていたので、会場に向かう。
すると、結構なおっさんがごっそりとそろっている。はてさて?WS参加の人だろうかと思っていると、そうらしい。
会場に入るとぞろぞろついてきた。
通訳兼司会の人に、これはそもそもWSの内容が伝わってないのでは?と聞くと、体を動かすとは思っていなかったとのこと。ここでも連絡ミス発生。もうやんなるな。どうやらおっさん連中はこちらの大学の演劇学科の教授陣らしく、話を聞きにきたとのこと。曰く、こちらでWSと言えばレクチャーに近いという認識があるらしくそのつもりで来たと。後ろの方に座っている若い人たちもどうやらそのつもりで来たらしい。早速スイッチを切り替えレクチャーに入る。昨日の公演を見たかと聞くとほとんどが手を挙げていたので質問を受けることに。
あくまでも演劇のフェスティバルなので、僕の作品は「かなり抽象的な一人芝居」と取られたようだ。「モノドラマ」と方々で声が上がる。して質問は君の作品は「ダンスか演劇か」だと。水と油で出始めの頃から3万回くらい聞かれた質問。「そのどちらでもなく、またそのどちらでもある瞬間を求めてスタイルを模索している」と答える。
もひとつ「フォームとコンテンツ(形式と内容)についてどのように考えているか?」との質問。
こちらが質問し返す。「フォームとコンテンツが果たして分けられるとお思いか?」と。内容は必ず形を伴い、形は内容を含んでいる。と続けた。ちょっと伝統的な、ぶっちゃけ若干古い演劇観の持ち主らしい教授陣からの質問に答えていく。この教授陣が後ろの若い連中に質問の機会を譲らずにガンガン質問してくるのでこちらもちょっと意地悪気味にな。
「一人で演出、出演、美術etc.を兼ねるとイラクでは独裁者(dictator)と言われるがどう思うか?」「独裁者かどうかは一人ですべてやっているかどうかで決まるわけではない。それにそもそも芸術に民主主義が必須とは思っていない。独り舞台で独裁で何が悪いのか?時として観客が時間を支配されていると感じる作品があるが、むしろそちらの方が問題では?」と答えると、後ろの学生が「うんうん!」と強く頷いている。もうひとこと「この場の空気を独裁(dictate)しているのはおそらくアナタ方教授陣ですよ」と喉まででかかったが、未だ封建的な空気を残すイラクではその指摘は刺激的すぎるかもと思い踏みとどまった。
そんなようなやり取りのWS改めレクチャーは結果的にはいい空気で終わった。しかし後ろの若者には全然質問の機会が上げられなかった。途中で止めて聞こうと思ったが、どんどん質問が前の教授陣から出て上手い事タイミングを見つけられず。司会の人も全然気づかず次々訳すもんで。残念だったなあ。
コレ以外の点からも色々感じたのだが、かなり封建的な社会ですね。上が絶対。昔の日本みたい。後女性の地位が低い。男尊女卑がかなりあるね。こちらの女性スタッフがロコツに低く扱われているのはちょっとびっくりした。それと関係あるか分らんけど、舞台を観に来ている人がほぼ9割男性なんだよね。男女関係そのものもかなり秘めたるものとして扱われるらしい。要するにつきあってるって正式な結婚以外は不味いことなんだと。以前この土地で駆け落ちしようとした未成年の女性が親に捕まりせっかんを受けて死亡した事件があったらしい。一族の恥だと。以前と言っても4〜5年前よ。そういった土地の風習に関わることを外側から一概に悪いと断じるのはナンセンスだよな。しかし、「はたしてどうなのだろう」という疑問は出始めているらしく、若い世代にそういった話を振ると熱心に答えてくれた。オーガナイズに関しても若い世代の憤りはあるらしく、ひとしきり話は盛り上がる。しかし「次は君たちが中心になって出来るといいね」とこちらの思いを語ると、そうなるといいねと言いつつも若干諦め気味の表情が現実の重さを浮き彫りにしていた。