WSショウイング本番その2

一昨日の続きより〜
で、「アーティストの態度としては全く正しい」ってやつの続きだけれど、彼はそれが日本人にとってどう見えるかを特に分けて考えていない。というより、それを「突き抜ける」ことを信じているような気がした。自らの取り組んでいることの普遍性に賭けているといってもいい。受け止める側に多少の触れ幅があってもその先の地平があり、そこでは地域や人種、性別の壁を越えた何かがあるってことを信じているというか。
だもんで、日本人における「キョリ(あえてカタカナで書いときます)」の感覚は興味深いとしつつも、あえてそれを取り入れることはしなかったのではないかと思った。もちろん今回は日本人がやったわけだし、その「キョリ」の感覚は自ずと入ってくるだろうけれども。
「ダンス」と取り巻く状況の違いからくるのかもしれない。乱暴でありきたりな一般論ですが、既に社会に必要不可欠なものとして存在しているであろう欧米と、それをいかに根付かせていくか、で戦っている最中の場所との。
もちろんどの場所に置いても戦いはあるわけで、言ったら欧米の一流カンパニーでやっている彼の方がよっぽどシビアな戦いの中にいるだろうし。きつい状況の中で光を見出すってのはどこにおいても一緒。目の前の問題を無視しないながらもいかにその先を見据えられるかなんだろう。